引っ越し

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サンフランシスコは今、春です。
桜が満開です。

暖かく柔らかな日差しの中、書く場所を引っ越します。ゲームについてのメモを増やそうと思いましたところ、はたとここのツールでは何かと不便だと気付きまして、管理だったり検索だったりが便利そうなところにしました。

新アドレスは以下になります。

http://d.hatena.ne.jp/IDA-10/

よろしければ、今後はこちらにお越しくださいませ。
何卒、よろしくお願い致します。

映画「Heart Of Gold」を観た

引っ越しも間際ですが、どうしても書いておきたいのでメモのようなものです。
しかも、ニール・ヤングというロックミュージシャンについてです。
この名前でピンとこない方は、さらっとスルーしてくださいー。

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さて、2/10はニールヤングのドキュメント映画「Heart Of Gold」(http://www.heartofgoldmovie.com/)の公開日だった。

この映画について簡単に説明すると、トーキング・ヘッズのコンサートフィルム「ストップ・メイキング・センス」や「フィラデルフィア」で有名なジョナサン・デミ(Jonathan Demme)が監督で、最新アルバム「Prairi Wind」の発売に先駆けて関係者を集めて2004年8月にナッシュビルで開かれたコンサートの記録映画だ。

ちなみにニールヤングについても少しだけ説明すると、デビュー35年になるロックミュージシャンで、今なお精力的に活動を続けている。最新作「Prairi Wind」からのシングル「The Painter」は2005年グラミーにノミネートされたりした。また、彼は轟音ギターの4ピースバンドのスタイルでも有名だが、今回は、もう一つの有名な顔である、アコースティックなカントリースタイルでの演奏。

さておき、20年以上彼のファンであるところの僕は当然のごとく、朝一でサンフランシスコの中心地にある封切り映画館のMetreon(http://www.metreon.com)に駆けつけた。到着すると、すでに夕方以降の回にはちらほらとソールドアウトの表示がでている。11AMの回はまだ大丈夫なようだが、焦りながらチケットを購入。販売員から、「どんな映画なの?」と聞かれるも、「Movie about great musician.」と答えるのが精一杯。早く席を取りたい。

ドアを開けると驚きの観客1人。俺と会わせて2人。そのまま上映まで2人をキープし、映画が始まった。

映画の構成について言うと、まず、舞台であるナッシュビルとニールにゆかりの深い人たちが会場に向かう車内でインタビューに答えるパート。次に新アルバム「プレーリー・ウインド」からほぼすべてを演奏するパート。最後にカントリースタイルで歌った往年のヒット曲を演奏するパートの3部に分かれている。

まず、インタビューパート。主だったところでは長年、彼の命であるギターをはじめ機材の管理調整を引き受け続けたラリー、旧友ベン・キースにエミルー・ハリス、そして妻のペギ・ヤング。皆が思い出話を交えながらニールの人柄を語る。インタビューパートの最後はニール自身。リムジンで移動する車内でナッシュビルについての思い出に触れる。その中で印象深かったのは妻のペギの話。「正直、彼が何を考えているかは良くわからない。でも、(演奏が)始まればわかるのよ。ええ、今日もそうなの。これから分かるはずよ。」(←とかいいつつ聞き取りにまったく自信なし。雰囲気だけ……。)

次はコンサートパート第1部。スクリーンいっぱいに会場のRyman Auditoriumの舞台が映る。幕が開き、ニールが等身大で姿を現す。まるで、この映画館のステージでコンサートが始まるような錯覚。ええ、ファンですから。はい、泣きました。

バンドは大編成。曲によって出演者が変わりはするが、総勢で40名を超えるんじゃないだろうか。一曲目「The Painter」のイントロが奏でられるだけで、空気が一気に変わる。簡単に言えば、世界が変わる。彼のショウが始まったのだ。そして彼は静かに歌い出す。

画家は画の前に立ち
世界を見渡す

彼女は景色を眺め
空気から色を取り出し
塗り始める

彼女は日の光から色を取り出す
緑から翠を、赤から紅を、黄から金を
夕暮れから黒
夜の闇からは蒼を

僕の過ぎてきた長い道
僕の前に伸びる長い道
すべての夢を追っていたら
君は道に迷ってしまうだろう


バンドの中心メンバーがここナッシュビルで30年近く前に出会った仲間達だとか、彼の脳に見つかった動脈瘤の治療の直後だったとか、父上の死だとか、すべてのキャリアを達観したような歌詞だとか、そういった重みが、ニールの歌声にのって、僕の胸に注ぎ込まれる。彼の歌と共に越して来た僕の20数年の思い出が、次々に喚起される。心が湧き起こる記憶を処理しきれない。ええ、よーするに泣きました。ああ良かった。観客2人で。

アルバムの収録順に演奏は続く。1曲をのぞき、すべての曲が演奏される。

第1部 曲リスト
The Painter
No Wonder
Falling Off The Face Of The Earth
Far From Home
It's A Dream
Prairie Wind
Here For You
This Old Guitar
When God Made Me

このアルバムパートの内容は、家族への愛や郷愁、懐古を含みつつも、世界の現状にも目を向けたものになっている。「No Wonder」では9.11に触れると共に、最後は

神が僕をお造りになった時
予見しておられたのだろうか?
彼の名の元に起きた多くの争いを


と、神の意志について疑問を投げかける「When God Made Me」で、コンサートパートの第1部は終了する。彼の神についての見解は、80年代にFarm Aid(http://www.farmaid.org/)で「God's Perfect Plan」を歌っていた時から、さらに深まっている。

余韻さめやらぬまま、続けて始まるコンサートパート第2部。こちらは、70年代ヒット曲満載で進行した。

第2部 曲リスト
I Am A Child
Harvest Moon
Heart Of Gold
Old Man
The Needle And The Damage Done
Old King
Comes A Time
Four Strong Wind
One Of These Days
---
Old Laughing Lady

バッファロースプリングフィールド時代の「I Am A Child」で観客は大喜び。俺も大喜び。それにしても60の誕生日迎えて「僕は子供」て。続けて「Harvest Moon」。

だって僕はまだ君を愛しているんだ
君とまた踊りたいな
この満月の下で

のバースではコーラスで参加している奥さんのペギに流し目くれたりして、まったくいい夫婦っぷり。隣のエミルーも思わず苦笑い。

と、和んだのもつかの間、次の「Heart Of Gold」で空気は一転。この曲は言うまでもないが、72年にニールがソロ名義でアメリカのヒットチャートで初めて1位をとった曲。ようするにスーパースタンダードというか、おなじみの曲と言うか、まあ、そういう曲だ。しかし、これまでに何千回と歌ってきたであろう曲を、今夜のニールは鬼気迫る迫力で歌い上げる。

僕は生きたい
僕は与えたい
僕は美しい心(Heart of gold)を探して探求を続ける坑夫

ハリウッドに行った
レッドウッドにも行った
海を渡って心の黄金を探した


20代でこの詩を書いた彼は、60歳を迎えてなお「Heart of gold」を見つけていないのだと思う。だから、こんなにも真摯に、切実に、歌い上げるのだ。

ここで気付く。このコンサートは決して懐かしのメンバーで懐かしの曲を披露する同窓会なんかじゃない。たくさんの不幸が彼を襲った。世界規模で災害が起き、戦争は収まることがない。そんな嵐のような世の中で、妻や家族との絆を再確認し、仲間達との関係を確かめ、新たな道を行くための意思表示だと。それに気付いた時、えーと、泣きました。

老人が若者に向かって、自分の人生と似ていると語りかける「Old Man」。破滅に向かうジャンキーについての「Needle And The Damage Done」。愛犬の死を振り返る「Old King」。愛し合う僕らと共に、時代は回ると歌う「Comes A Time」。まだ駆け出しの頃、カナダのバーで歌っていた時、そこで流れたもっとも美しい曲で、今でもこれには到底至らないと紹介した「Four Strong Wind」。

続くこれらの曲は彼の人生の総括、ニールのキャリアそのものだ。しかし、ここへきて僕は、先ほども感じたように常に先へ先へと進もうとする彼が、このように自身を振り返ることの意味を計りかねてしまった。彼は元々、常に新しいチャレンジを続ける男で、そのスタイルはロックをベースにパンク、テクノ、カントリーからロカビリーまで取り入れて、いつだって変化を繰り返してきたし、今でもほぼ1年に1枚新しいアルバムが届く。

解せぬままに、古い友人を想い、長い手紙を書こうと語る「One Of These Days」でショウが終わった。そして、エンドクレジットをバックに、ニールが誰もいない客席にむかって、ギターだけで「Old Laughing Lady」を歌いだす。これは、深い喪失感と共に、夭折した老女について語られる曲だ。

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すべてのクレジットが流れ、最後に浮かび上がったテロップで、僕は理解した。

そこにはこう書かれていた。

For Daddy 父へ捧ぐ、と。

そう。このステージは、その少し前に亡くなられた、彼の父への報告だったのだ。

このように育ち、
このような仲間と出会い、
このような曲を書き、
このように生きて来ましたと。

すべては、敬愛する父へと捧げる演奏だったのだ。

「Old Laughing Lady」は、誰もいない客席に向かっていたのではなく、
父へ向けて演奏していたのだと分かった時、
涙はとどめようもなく、ひたすら僕の頬を流れた。

理由は分からない。
解釈もできていない。
ただ、無性に心が揺れて、涙があふれた。

客電が点いても、まだ立ち上がらない僕をみて、
後ろに座っていたもう一人の観客のおじいちゃんが、

「Don't cry, No tears」(75年のアルバム「ZUMA」の1曲目のタイトルとかけてる)

なんてうまいことを言う。
もちろん、気の利いた答えなんて返せなかった。

シリーズ『あの夏』 最終話「僕らは橋の上で」 -前編-

このエントリは、大学時代の自動車免許の合宿にまつわる思い出です。実はずいぶん前に書き終わっていたのですが、あまりに最近のエントリと空気が違うので公開を見送っていました。でも、ブログの引越しをするにあたって、まあ、いい機会なのでアップします。完結編だし。それから、この話はあくまで思い出のおはなしなので、特に僕の配偶者は気にしない方向で何卒宜しくお願いいたします。

なお、この文章には、ずいぶん前に前日談が書かれています。

・第1話「ふくしまへ」
第2話「ヤンキー祭り

よろしければ、あわせてどうぞ。

---ここから本文

ある日、休憩時間に交通ルールの参考書を2階の窓から裏の川原に大遠投する大会が開かれた。理由は暑いからとか、そんな感じだったと思う。ヤンキーグループとは不思議な折り合いがついていた(参照:第2話)ので、そんな不条理な競争に参加することもなく、ビリだったヤンキーが、陰毛をライターで焼かれる「どんどん焼」というバツゲームを受けるのをぼんやりと眺めていた。あいかわらず福島は暑く、羽虫は僕のベッドに集まった。

あまりに毎日は変わりなく流れていく。違いといえば、たまたま合宿初日にバスで一緒になった女学生(参照:第1話)のAさん(仮名)となんとなく仲良くなっていたことだった。お互い、同時期に合宿をスタートしたので自然と同じような講義を取ることになったのと、同世代が少なかった(しかも周りはヤンキーばかり)こともあり、講義の前後や、廊下で会った時にぽつりぽつりと言葉を交わすようになったのだ。

彼女は人当たりは良いが決して慣れ慣れしいタイプではなく、お互い個人的な話をすることはなかった。半年間、人間の10倍プラモと向き合ってた僕が話せることなんて、小さいパーツに色を塗るときは、洗濯バサミを割りバシに固定して、それではさむときれいに塗れるとか、さらに、それは発泡スチロールにそのまま刺して乾かせるから便利とか、エヴァカラーが足りなくなった時の色レシピとか、それくらいのものだったが、重箱の隅をつつくような交通ルールのクイズを出し合うという会話のフォーマットを発見してからは、なんとか話がつながるようになった。

「ねえ、IDA-10くん知ってる?自転車って車両だから本当は歩道を走っちゃいけないんだよ。」
「馬車もね、だから馬車も歩道を走っちゃいけない。」

つながっていないような気もするが、まあ、僕は満足していた。

そんなある日、校舎のはじっこで、彼女がヤンキーの一人にからまれているところに出くわした。そのヤンキーは全身をアディダスのジャージで固めており、自称「ブクロの赤ギャング」だったが、他のヤンキーからは「アディダス」という身もふたもないあだ名を付けられていた。そんなアホなあだ名に恥じることなく、教科書を川原に投げてなくなったので貸せとアホな理由で彼女に迫っていた。僕は、その頃には、すでにそれぞれのヤンキーに、対処法を身につけていた。アディダスのランクは下の上程度で、多少強く出ても問題ない。そして、なにより初日にTという強面のヤンキーにボコられていた。

「あのさ、AさんがTさんのお気に入りだって知ってんの?ヤバいんじゃない、それ。」

「マ、マブかよ!?」

「多分ね(なんだよマブって)。」

「お、俺はただ教科書かりてーだけだべ?」

「だったら俺の貸すからさ。」

「マブで?」

「マブで。」

「じ、じゃあ、かりとくからよ、Tさんには黙っとけよな!」

や り ま し た 圧 勝 で す !
あんなヤンキーでも怖かったらしく、すこし震えているAさんに声をかける。

「教科書とられなくてよかったね。」

「あの、ありがとう、でもIDA-10くんのが...」

「いいって、あんなの。テストは別の問題集あれば大丈夫だし。それから……、えーと、あのー……。」

Aさんは、すこし怯えてた目をして

「なに?」

「えーと、またすぐあいつと顔あわせたらいやだし、コンビニまでアイスでも食べにいかない?」

Aさんも少し一人でいるのが不安だったのか、微笑んで承諾してくれた。

「あの、Tのお気に入りって、あの失礼かもしれないけど、えと、ウソだからさ、気にしないでね。」

「え?」

「ごめん。」

良く分からないが、とても無礼だった気がして僕はとにかく謝った。

「ううん、いいよ、そんなこと。それより助けてくれてありがとう。」

「いや、前からアディダスってAさんにからんでたじゃん。気になってたんだ。」

「アディダスって、あの人のあだ名??アハハ!!すごい面白い!」

ああ、自分が何か言って、笑ってもらうと嬉しいんだなあとぼんやり思った。

「IDA-10くんって、不良じゃないじゃない?なんでいじめられないの?」

ケンカ弱そうと表現しない彼女の優しさが嬉しかった。僕は自慢じゃないが昔から色白でやせている。

「うーん、別に僕はあの人たち嫌いじゃないんだよね。だから……かなあ?」

会話の端々が情けないが、これまで、話題の9割が交通トリビアだったことを考えれば、これは進展といって差し支えないだろう。体の前半分と後ろ半分の2パーツで構成された葛城ミサト以外に女性と接点がなかった僕にしては上出来。福島の太陽が今日はやけにまぶしい。さらに今日は、いつの間にか、話題がお互いへの質問になっていた。家族構成。妹一人の長男→やっぱり!とか、ペットの名前と由来とか。すごいフラグ立った感。

さて、自然な流れといおうか、次の授業からAさんとの親密度が俄然アップした。悪の不良に絡まれるAさんというイベントをうまくクリアしたことで、Aさんに教科書をみせてもらえるようになるフラグも立ったのだ。長机に隣あう僕ら。縮まる距離。幸いにして、すべての教科を順調に進めている僕らのクラスには、ヤンキー軍団はそれほどおらず、いても、無害な方々ばかりだった。

中編につづく
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